Нет ничего обольстительнее
для человека,

как свобода его совести,
но нет ничего и мучительнее.
Ф. М. Достоевский

 
『自由』 此れ程身を焦がす渇望を私は他に知らない
其れは魂を揺さ振り だが 同時に最も私を苦しめるのだ

 
 学生時代から私はロシア、よりソ連邦に興味がありました――社会主義国のディティルに、かな。というのもあの時代の (主に第二次大戦後から崩壊目前まで) ソ連て非常に得体が知れない気がして (^^。)。例えば米国は自由と解放の旗印☆バラ色資本主義!! 叶えたい夢があるなら努力!! 好きな言好きって言える自由主義社会ってスバラシイ!! と言う名のぢつは弱肉強食Σ( ̄口 ̄)、朗らかに身体と心の欲望の赴くまま他人をゲシッと蹴落とし幸せちゃちゃちゃ♪(←穿った例え)。でも人間て基本的にそういう動物だと紅井は思っているのでそれらを全面否定しているのでは決してなく (私も資本主義国の一員として現状を享受しているハズですが)。それに比べ当時のソ連の一般人は『欲望』を抱いては絶対にイケナイ!! みんなみんなみんっな平等!! 等しく正しく五人組。ちょっとでもアタマ出たらボッコボコに集中攻撃食らってボロボロにされヘタすると再起不能どころか翌日の朝日は永遠に拝めない、とほほと言うには尋常でない非人間的な大国家。簡単にまとめるとこういうことだったんですね (←コラ)。それで何故興味が沸いたかと言う話に戻ると、察しのヨロシイおぢょうサマは既に解ってらっしゃるハズ!! そう紅井は虐げられたり蔑まれたり身体中雁字搦めに縛られてノタうちながらヒタムキに生きる人々がっ大っ好きなの!! 正直どうにかしろよこのサド僻を、ですか (^^。)。人道見地からもあるけれど大半は「私にソレを見せてくれ!!」というような不届きな興味と欲望で以て、ひと時ソ連に生きる人々を追い掛け、出来た話がコレでした (まったくも〜)。
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1998.10.10(株)ビブロス